遺骨持ち帰る=北朝鮮、めぐみさんのものと説明−8人死亡・2人未入国主張変えず(時事通信 04.11.16)
遺骨持ち帰る=北朝鮮、めぐみさんのものと説明−8人死亡・2人未入国主張変えず(時事通信 04.11.16)
外務省の藪中三十二アジア大洋州局長は15日夜、平壌で行われた拉致問題をめぐる日朝実務者協議の内容を発表した。それによると、安否不明の10人について北朝鮮側は今回も「8人死亡、2人未入国」とした従来の主張を繰り返した。また、同局長が持ち帰った資料には北朝鮮が「横田めぐみさんのもの」とする遺骨が含まれていた。政府は遺骨のDNA鑑定を含め新資料の分析を急ぎ、信ぴょう性を確認する方針だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=2004111500000540jijpol
<日朝実務者協議>「横田めぐみさんの遺骨」持ち帰る(毎日新聞 04.11.15)
(略)
代表団によると、持ち帰った遺骨は、横田さんの夫とされるキム・チョンジュンさんが横田さんの土葬から2年半後に墓から掘り起こし、骨つぼに保管していたものと説明を受けた。骨は焼かれているため、DNA鑑定は困難とみられている。
また横田さんの消息について、北朝鮮は当初、「93年3月13日に自殺した」と説明していたが、9月の前回日朝協議で「93年10月までの入院記録があった」と修正。さらに今回は「94年3月に(再)入院し、同年4月13日午前10時ごろに自殺した」と再修正した。さらに横田さんを拉致した実行犯について「00年11月に脳出血で死亡した」との説明があった。
キムさんは日本側の聴取の際、横田さん娘のキム・へギョンさんの3人が一緒に写っているいう写真を見せたが、提供を拒否。また日本側が本人確認のために写真撮影や毛髪の提供を求めたが、「特殊機関勤務」を理由に協力しなかった。
また、北朝鮮側は02年9月段階で示していた安否不明者8人分の死亡診断書について「急いで間に合わせで作ったもので正確でない」と誤りがあったことを認めた。ただし、8人の現在の生存は否定し、「古い事案で、特殊機関が関与したので文書が焼かれている」と釈明した。曽我ひとみさんの母ミヨシさんと久米裕さんについては「入国の事実がない」と改めて主張した。
横田さんのほか5人分の写真、所属などの資料提供もあった。石岡亨さん、有本恵子さん夫妻については石炭ガスで中毒死したとされる「煕川招待所」の略図。交通事故で亡くなったとされる松木薫さんに関しては、写真、事故資料の写しなど、同じく交通事故で亡くなったとされる田口八重子さんについても事故資料の写しが提示された。海水浴場で死亡したとされる市川修一さんの分は、死亡当日という79年9月4日の海水浴場周辺の気象資料だった。
(略)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=2004111500000118maipol
北「めぐみさん遺骨」提示 資料6人分持ち帰る 政府DNA鑑定へ(毎日新聞 04.11.16)
(以下略)
藪中局長らの報告によると、北朝鮮側は二年前に訪朝した日本側調査団に示した八人の死亡診断書は「慌てて作ったもので、正確なものではない」と説明。「一九九三年三月十三日に自殺した」としていた横田さんの死亡時期を「九四年三月に入院し、同年四月に死亡した」と訂正した。
石岡亨さん=同(22)、有本恵子さん=同(23)、松木薫さん=同(26)、市川修一さん=同(23)、田口八重子さん=同(22)=らの写真や書籍などを示し、北朝鮮側が同年の調査団に対し証言した拉致事件の責任者二人の裁判記録も示した。
協議は十二日までの予定を二日間延長。拉致事件関係の協議は延べ五十時間に及んだという。
調査担当とされる陳日宝・人民保安省局長の説明を受けたほか、横田さんの夫と北朝鮮側がいうキム・チョルジュンさんと面会。冒頭短時間、長女のキム・ヘギョンさんが同席した。チョルジュンさんは「特殊機関に勤務している」と説明されたが、血液、毛髪の提供は拒否した。横田さんの入院先とされる「四十九予防院」の医師らから事情聴取した。
また、北朝鮮側は「横田さんは田口さんと八一年から八四年まで一緒に生活していた」と説明した。
このほか安否不明者関係では、有本さん、石岡さんが死亡したとされる「招待所」関係者はじめ、十二人と面会。北朝鮮側は藤田進さんや加瀬テル子さんら特定失踪(しっそう)者五人には入国の事実はない、と回答した。
さらに、日本側は、国際手配されている同国在住の「よど号」ハイジャック事件犯人グループの魚本(旧姓・安部)公博容疑者はじめ、辛光洙容疑者、金世鎬容疑者の身柄引き渡しを改めて求めた。三人はいずれも日本人拉致事件に関与しているとみられている。
(略)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=2004111600000000sanpol
<日朝実務者協議>家族会メンバーは北朝鮮へ憤り(毎日新聞 04.11.15)
(略)
外務省による家族らへの説明は午後4時半ごろから約3時間半に及び、終了後に家族らは東京都内で記者会見した。
家族会代表でめぐみさんの父滋さん(72)は「遺骨とされるものが入った骨つぼは白い布でくるまれていた。警察が検証する関係で中も開けていない」と説明。北朝鮮から提供されためぐみさんの写真3枚のうち1枚は結婚後のものだった。母早紀江さん(68)は「少し背が高くなってすらっとなって、大人になっていた。思わず懐かしさで涙が出てきた」と話し、「表情は明るく、本当に精神病にかかっていたのか。自殺なんて絶対ない」と語気を強めた。さらに「娘たちはどこかに監禁されていて『そんなの違うのよ』と叫んでいるはず」と話した。
弟拓也さん(36)も「北朝鮮側が提供した情報は、横田めぐみばかりに集中している。運動のシンボルを一本釣りし、うその情報で納得させようとしている。落胆した」と強い口調で話した。
田口八重子さん(同22歳)については、81〜84年にめぐみさんと一緒に生活していたと初めて説明された。田口さんはこの時期、大韓航空機爆破事件の金賢姫元死刑囚の教育係として同居していたとされる。田口さんの兄の飯塚繁雄さん(66)は「同居期間が正しいなら、妹は(教育係の)李恩恵じゃないことになる」と、北朝鮮の主張が意図的に作られているという見方を示した。「何回調査をやっても北はうそを続ける。(死亡原因とされる)交通事故の調書は作られたものという疑念はぬぐえない」と繰り返した。
北朝鮮は増元るみ子さん(同24歳)の結婚の日付を訂正した。弟照明さん(49)は「結婚証明書をねつ造だったと認めた国をどうやって信じられるでしょうか」。松木薫さん(同26歳)については「衝突事故で死亡」とされていたのが「自動車が転落して火災になり死亡」と変わった。弟信宏さん(32)は「180度説明が変わった」と、不信感をあらわにした。
有本恵子さん(同23歳)の拉致について、北朝鮮側は「よど号メンバーが関与したという事実がない」と回答した。父明弘さん(76)は「北朝鮮のたちの悪さが出ている。遠慮なく経済制裁するしか解決方法はないのではないか」と、強く主張した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=2004111500000119maisoci
「北朝鮮にはだまされない」 拉致から27年、横田夫妻(共同通信 04.11.15)
「北朝鮮のやり方にはだまされない」。横田めぐみさん=失跡当時(13)=の写真を見て、母親の早紀江さん(68)は涙ぐんだ。死亡時期についての説明は「1993年3月」から「94年4月」に変わり、“物証”ととして提供されたのは火葬によってDNA鑑定が困難な「めぐみさんの骨」だった。めぐみさんが拉致されて15日でちょうど27年。横田さん一家はこの日、救出まで戦う思いを新たにした。(以下略)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=2004111500000201kyodosoci
・(大分合同新聞 04.11.15)
外務省の個別説明(1) 横田めぐみさん
外務省が示した拉致被害者7人の個別説明は次の通り。(原敕晁さんについての説明はなかった) 横田めぐみさん 【北朝鮮側からの説明】 ▽入国経緯 1977年11月15日夕方、任務を遂行し帰ろうとしていた工作員がめぐみさんと遭遇し、やむなく連れてきた。拉致は計画的ではなく、突発的な行為であった。入国地点は清津(チョンジン)。実行犯の工作員は、命令なく連れてきたことから職務停止処分を受け、その後復帰したが、2000年11月に脳出血で死亡した。 ▽入国後の生活 1977年11月から81年春までは精神的安定のため平壌の招待所で生活し、朝鮮語学習等を行った。81年春から86年8月までの間は、平壌郊外の招待所(平壌市順安区域の大陽里にある招待所)で、日本語教育に従事した。81年から84年までの間は、田口八重子さんと一緒に生活していた。93年4月29日から6月3日の間、8月3日からも695病院で入院治療を行った。93年9月21日までは695病院で治療を受けた。めぐみさんの精神状態を積極的に治療するため、94年3月、平壌市勝湖(スンホ)区域の49号予防院に入院させた。 ▽死亡の経緯 94年3月10日から49号予防院に入院した後、4月13日午前10時ごろ、担当の医師が一緒に散歩していたが、急用で医師は事務室に呼ばれ、目を離したところ、外ががやがやしていたので確認したところ、松の木で首をつって自殺していた。事前に衣類を裂いて作ったひもを用意していた。 ▽患者死亡台帳への記載 患者死亡台帳における、めぐみさんの名前の記載は、今回の再調査により、後で書き込んだものであることが判明。02年8月ごろ、当該機関関係者が来て、台帳を求めたが、49号予防院には彼女の死亡を確認できる具体的日時を覚えている人がおらず、当該機関関係者が正確でない日時に基づき、死亡台帳を作成し、名前を書いておいたため、番号が重なった。 【証人からの聴取等】 ▽入院していたとされる平壌49号予防院に出向き、担当医師と面談を行うとともに、病棟内、集合墓地区域等を視察した後、入院台帳を閲覧した。また、横田めぐみさんが生活していたとされる大陽洞招待所跡を実地踏査した。 ▽夫とされるキム・チョルジュン氏および695病院の元医師から、当時の状況等に関する情報の聴取を行った。 ▽物証 日本での生徒証1枚、自筆のメモ1枚、写真3枚、カルテつづり一冊の写し
http://www4.oitapress.co.jp/news2.cgi?D=CN20041116&ID=CN2004111501004718.4.N.20041116T001825&J=Detail&UP=20041116T001825
外務省の個別説明(2) 田口八重子さん
田口八重子さん 【北朝鮮側からの説明】 ▽入国経緯 身分盗用に利用する相手を物色していた工作員が「青島海岸まで行こう」と田口さんを誘引した上で、1978年6月29日、青島海岸から田口さんを連れてきて、海州から入境した。拉致の実行犯であるリ・チョルスは、92年夏死亡した。 ▽生活経緯 78年6月から7月までの間、地方の招待所で休息。78年7月から79年11月までの間、平壌市内の招待所で生活。79年12月から84年10月までの間、平壌市郊外および地方の招待所で日本語教育に従事、84年11月から86年7月までの間、麟山郡の招待所で家庭生活。特に、81年から84年までの間は、横田めぐみさんと一緒に生活していた。夫の原敕晁さんが平壌の病院に入院してからは、田口さんも平壌郊外の招待所に移り、原さんを見舞った。そこで他の日本人と一緒にいた可能性もあると思う。原さんと結婚後の84年11月から86年7月まで麟山の招待所で一緒に生活していた。 ▽結婚 84年10月19日に原さんと結婚。初めは、年の差が離れているためちゅうちょしていたが、何回か会ううちに結婚に同意。これは、調査委員会の人間が特殊機関内に入って、関係者から話を聞いた。 ▽死亡経緯 夫の死亡後、精神的な慰労のため元山に行って休息をとった後の帰宅途中、86年7月30日、馬息嶺で軍部隊の車と衝突して死亡。 ▽事故処理 軍が事故後被害者を引き上げ、元山周辺の郡病院へと搬送した。軍から連絡を受けた当該機関は、元山基地に指示を出し、ひつぎを移送する準備をさせた後、遺体の引き渡しを受けた上で葬儀を行い、夫の墓地がある麟山に合葬した。 ▽遺体 95年8月18日、豪雨により麟山郡上月里の貯水池ダムが決壊したため、流出した。遺品は死亡当時に焼却された。 ▽田口さんの朝鮮名 田口さんは北朝鮮に入国して以来、コ・ヘオクとの朝鮮名で通しており、他の朝鮮名はなかった。 【証人からの聴取等】 ▽695病院の元医師および麟山郡招待所の接待員から、当時の生活状況に関する情報の聴取を行った。 ▽馬息嶺交通事故につき、道路管理人から事故状況について聴取。 ▽物証 馬息嶺交通事故資料
http://www4.oitapress.co.jp/news2.cgi?D=CN20041115&ID=CN2004111501004763.1.N.20041115T222653&J=Detail&UP=20041115T222653
外務省の個別説明(3) 市川修一さん
市川修一さん 【北朝鮮側からの説明】 ▽入国経緯 1978年8月12日、鹿児島県吹上浜キャンプ場で語学養成のため特殊機関工作員が拉致。北朝鮮への入国拠点は海州。 ▽入国後の生活 78年8月から1カ月は地方の招待所で精神的安定のため休んだ。78年9月から79年3月までの間は、平壌市郊外の招待所で朝鮮語学習、現実体験を行った。79年4月から9月までの間は地方の招待所で日本語教育に従事。 ▽結婚 79年7月20日、増元るみ子さんと結婚(以前4月20日と伝えたのは事務的な誤記)。 ▽死亡の経緯 79年9月4日、元山海水浴場で心臓まひで死亡。当日午前中は曇っていたが、午後は晴れており、風もなかった。気温は高くなかったが(最高気温22・5度)、水は冷たくないことから、泳いでいる人は少なくなかった。海水浴のシーズンは毎年9月20日ごろまでである。市川さんは午後3時ごろ海水浴に来た。当時麟山の招待所に住んでいたにもかかわらず元山にいたのは、79年8月末から、担当指導員と江原道に緊急出張したため。当時、元山市の松濤園海水浴場で海水浴をしながら休んでいた。9月4日午後も担当指導員と海水浴をしていたところ、心臓まひにかかり、水の中に沈んだ。側にいた人や担当指導員が担ぎ出し、人民病院に連れて行き、病院で救急対策を講じたが、手遅れだった。 ▽死亡後の処理 当該機関関係者がひつぎを準備し、麟山郡の墓地に土葬したが、95年8月18日の洪水で貯水ダムが崩壊し、流失した。調査委員会で人を動員したが、遺骨を見つけることはできなかった。 ▽遺品 焼却し、残っていない。 ▽目撃情報 94年ごろ市川さんを目撃したというのは根拠のない話。 【証人からの聴取等】 ▽地域の医師、看護師および海水浴場の出納係員から当時の状況に関する情報の聴取を行った。 ▽物証 「死亡」当時の天候資料。
http://www4.oitapress.co.jp/news2.cgi?D=CN20041115&ID=CN2004111501004785.1.N.20041115T223737&J=Detail&UP=20041115T223737
外務省の個別説明(4) 増元るみ子さん
増元るみ子さん 【北朝鮮側からの説明】 ▽入国経緯 1978年8月12日、鹿児島県吹上浜キャンプ場で語学養成のため特殊機関工作員が拉致した。北朝鮮への入国地点は海州。 ▽入国後の生活 78年8月から9月までの間、精神的安定のため地方の招待所で生活した。78年10月から79年7月までの間、平壌市内の招待所で生活し、朝鮮語学習等を行った。朝鮮の歌もよく歌っていた。79年8月から81年8月までの間、地方の招待所で家庭生活を送りながら日本の社会環境の教育を行った。結婚前まで、蓮池(旧姓奥土)祐木子さんと一緒に生活していた。 ▽結婚 79年7月20日、市川修一さんと結婚した(以前4月20日と伝えたのは、事務的な誤記だった)。 ▽死亡の経緯 81年8月17日、麟山郡の招待所で生活していたところ、心臓まひで急死した。当時の状況は、朝の食事の時間にもかかわらず人の気配がないことから、接待員が様子を見に行ったところ、毛布とともに床に落ちていた。接待員の知らせにより医者と指導員が駆けつけたが、既に心臓は止まっていた。若い女性の心臓まひは珍しく、既往症がないことは承知しているが、突然死亡した。 ▽死亡後の処理 関係者で葬儀を行い、夫の市川修一さんの隣に埋葬した。95年8月18日の洪水で貯水ダムが崩壊し、流失した。調査委員会で人を動員したが、遺骨を見つけることはできなかった。 ▽遺品 焼却し、残っていない。 【証人からの聴取等】 ▽695病院元医師、地区担当医師から、当時の状況に関する情報の聴取を行った。
http://www4.oitapress.co.jp/news2.cgi?D=CN20041115&ID=CN2004111501004788.1.N.20041115T224055&J=Detail&UP=20041115T224055
外務省の個別説明(5) 石岡亨さん
石岡亨さん 【北朝鮮側からの説明】 ▽入国経緯 1980年に留学および観光目的でヨーロッパに出国し、スペインのマドリードで松木薫さんとともに、特殊機関工作員の1人との接触過程で北朝鮮訪問を勧められて同意し、ユーゴスラビア、旧ソ連を経由して、80年6月7日、平壌に連れてきた。 ▽入国後の生活 80年6月7日から1カ月間は平壌市内のホテルに滞在。同年7月から81年8月の間は、平壌郊外の招待所で生活し、朝鮮語の勉強、現実体験を行った。81年8月から88年10月ごろまでは、平壌郊外の招待所で日本語教育に従事した。88年11月3日「静かなところに行きたい」との理由で煕川市の招待所に担当指導員が同行し移った。 ▽結婚 85年12月27日、有本恵子さんと結婚した。 ▽死亡の経緯 88年11月4日、煕川市の招待所で就寝中、ガス中毒で死亡した。発見日時は、同日午前8時ごろ。朝食の時間を過ぎても部屋から出てこないことから、招待所の指導員がドアを開けたところ、部屋はガスで充満していた。家族3人既に死亡していた。事故があった招待所は、89年秋に撤廃した。関係者は処罰され除隊した。 ▽死亡後の処置 695病院の医者と当該機関関係者が現地に出向き、部屋のかまどを調べたところ、床に細い亀裂が生じており、そこからガスが漏れていた。招待所で葬礼を行い、煕川市平院洞に土葬されたが、95年8月の土砂崩れで完全に流された。 ▽遺品 本人の写真1枚。パスポートは探し出すことが出来なかった。 ▽手紙の投かん 88年8月、石岡さんが担当指導員と平壌商店でショッピング中、担当指導員が席を外した時に偶然ポーランド人に出会った。石岡さんは同ポーランド人に、故郷に安否を伝える手紙を託した。石岡さんはこの事実を後ほど担当指導員に伝えた。担当指導員は、投かんを阻止できなかったことから処分(除隊)された。 石岡さんはウィーンから手紙を送ったことになっているが、事実はマドリードで書いた手紙を工作員に手渡し、工作員がウィーンで投かんした。手紙に「欧州の社会主義諸国を見回りたい」と書かれているのは、日本では自由に出来なかったためである。本人の意思に従って自ら入国した。 ▽物証 熙川招待所の略図、「死亡」当時の天候資料。
http://www4.oitapress.co.jp/news2.cgi?D=CN20041116&ID=CN2004111501004790.2.N.20041116T001715&J=Detail&UP=20041116T001715
外務省の個別説明(6) 有本恵子さん
有本恵子さん 【北朝鮮側からの説明】 ▽入国経緯 1982年留学のため英国に出国。特殊機関メンバーの1人が接触し、工作の過程で北朝鮮に行ってみないかと言うと、一度行ってみたいと言ったことから、特殊機関が日本語教育に引き入れる目的で英国、オランダ、デンマーク、旧ソ連を経由して、83年7月15日平壌に連れて行った。 ▽入国後の生活 83年7月15日から8月初旬まで、蒼光山ホテルに滞在しながら、市内参観を行った。市内参観は、平壌市内や地方の史跡、博物館、展覧館等を参観地とした。参観は、主な記念日等に本人の要求と希望等に従って行われた。83年8月初めから84年8月ごろまでの間は、平壌郊外の招待所で朝鮮語を勉強し、現実体験を行った。84年9月初旬から88年10月まで、平壌郊外の招待所で日本語教育に従事した。 ▽結婚 85年12月27日石岡亨さんと結婚。その後、李ヨンファという名前の娘を出産した。 ▽死亡の経緯 夫の石岡亨さんと同じ。 ▽遺品 写真1枚、パスポートを既に日本に引き渡した。 ▽その他 (よど号犯の関与)「よど号」メンバーの関与に関して、特殊機関において妄動分子の尋問資料も調査したが、同メンバーらが関与した証拠を見いだすには至らなかった(石岡亨さん、松木薫さんも同じ)。 【証人からの聴取等】 ▽熙川の招待所料理人(当時)および担当指導員(当時)から、当時の状況に関する情報の聴取を行った(担当指導員に対しては書面で質問し、調査委を通じ口頭で回答を受領)。 ▽物証 熙川招待所の略図、「死亡」当時の天候資料。
http://www4.oitapress.co.jp/news2.cgi?D=CN20041115&ID=CN2004111501004791.1.N.20041115T224312&J=Detail&UP=20041115T224312
外務省の個別説明(7) 松木薫さん
松木薫さん 【北朝鮮側からの説明】 ▽入国経緯 1980年留学と旅行のためにヨーロッパへ出発。スペイン・マドリードで石岡亨さんとともに北朝鮮の特殊機関工作員と接触、北朝鮮入国に同意。ユーゴ、旧ソ連を経由、80年6月7日、平壌に連れてきた。 ▽入国後の生活 80年6月から1カ月間、平壌市内のホテルに泊まった。80年7月から82年10月ごろまで平壌郊外の招待所で生活。82年11月ごろから96年7月ごろまで平壌郊外の招待所で日本語教育、資料翻訳に従事。 ▽死亡経緯 96年8月23日、両江道の革命史跡調査に行く途中、車が転落、火災事故で死亡。運転手は担当指導員。担当指導員と一緒に朝9時ごろ、平壌を出発、咸鏡南道に17時ごろ到着。車の状態がよくなかったので夕食後、車を乗り換え、20時ごろ出発。22時から23時ごろに死亡した、と認定。翌朝、人民軍の運転手が発見、郡の安全部に通報。 ▽遺体の処理 人民軍が用意したひつぎに死体を入れ、近くの墓地に安置。埋葬地は96年8月24日、北青郡梧坪里(土葬)。当初は誰かが火に焼けた死体を見て間違って火葬したと発言していたことが判明。2002年7月14日、北青郡人民委員会で豪雨で破壊された道路の被害復旧作業を行っていた際、一部の遺骨が発見され、松木さんの骨があると判断したため平壌に運ばせて火葬した後、彼の名前で保管。02年9月、日本代表団に本人の遺骨であるかどうか確実ではないと言いつつ提示。 ▽遺品 日本語教育のための教材として使われた劇のシナリオ「出航」および写真1枚。それ以外は死後招待所で焼却処分したため残っていない。 ▽手紙の投かん ウィーンで投かんされたものではなく、松木さんが既にマドリードで書いたものを関係機関の人間がウィーンに行って送付。 【証人からの聴取等】 ▽平壌市郊外招待所料理人(当時)から当時の生活状況に関する情報の聴取。 ▽物証 トチョル嶺交通事故資料、書籍1冊、写真1枚。
http://www4.oitapress.co.jp/news2.cgi?D=CN20041115&ID=CN2004111501004793.1.N.20041115T224425&J=Detail&UP=20041115T224425
TrackBack
http://watch.blogtribe.org/tbinterface.php/7232eab113df074e1c5f7157458d3934
コメントは投稿されておりません。









