【雑文】某掲示板で「『後進国』である中国とか北朝鮮とかの非道は大目に見てやれ、口を出すなといっているのですよ」と言われた私の投稿文(まこと)
【雑文】某掲示板で「『後進国』である中国とか北朝鮮とかの非道は大目に見てやれ、口を出すなといっているのですよ」と言われた私の投稿文(まこと)
とある某掲示板で中国等の人権問題を議論していた際に以下のような投稿を行ったところ、とある人物から私が「『後進国』である中国とか北朝鮮とかの非道は大目に見てやれ、口を出すなといっている」などとあらぬ難癖を付けられました。
以下、私の当該投稿文を掲載しておきます。(一部固有名詞は伏字にしています)
*○○○○さんの「苦言」を真摯に受け止めるべき 投稿者:まこと@出張 投稿日: 2月19日(土)11時38分1秒
「びた一文援助する気もない人びとが、朝鮮の農業についての評論だけは達者で、挙句の果てに朝鮮人は怠け者だって。」
「しかし、はっきりしていることは、米を植えようと麦を植えようととうもろこしを植えようと芋を植えようと、あるいは工業立国で食糧を輸入しようと、あるいはそれ以外の選択肢を選ぼうと、そんなことあなたには関係ないということです。」
「経済制裁は、北朝鮮人民を救済する為に行うのでしたか。それも知りませんでした。私は、拉致被害者を全員返さないから、するのかと勘違いしました。全く、日本は崇高な国家ですね。」
部下がどうのこうのとか、北朝鮮の農業が云々といった各論に関しては各々異論がありでしょうが、この掲示板の「北朝鮮農業談義」を見た○○○○さんをして何故かように言わしめたのか、私を含めこの掲示板の参加者は今一度内省すべきですね。
人権や人道を語るその口が、実は内在するショービニズムの裏返しでとしての「憐憫」の表出に過ぎないのでは無いのか、という・・・。
そういう意味では、私など○○○○さんから何時「知った風な議論は、やめな」と言われないだろうか、怖くなりますね。
*「人権排外主義」と「人権帝国主義」 投稿者:まこと@出 投稿日: 2月19日(土)17時28分9秒
個人的にはホリえもんや株の話の方が筆が進むのですが、××××さんの投稿に関連して。
この問題、説明し出すと長くなるのですが、例えばヨーロッパでは労組が「経営者は出稼ぎ中国人を低賃金で雇うな!中国人労働者の人権を守れ!」という一見もっともらしい要求を掲げてデモ活動を行うことがしばしばあります。また、同じデモの場で「自国民の雇用を守れ」といった類のスローガンが同時に掲げられることもあります。
この二つのスローガン、それぞれの主張自体は正論なのですが、これらが並列的に主張される時、ある「論理」が生まれることがあります。それは、
"われわれの雇用が損なわれているのは経営者が中国人の人権を無視して、出稼ぎ労働者を沢山使うからだ。経営者は中国人の人権を守り、自国民と同等に扱うべきだ。"
というものです。
しかし、経営者がなぜ出稼ぎ中国人を雇うのかと言えば、賃金が安いからという側面があるわけです。そして、自国民と同じ賃金ならわざわざ中国人を雇う必要性は相当程度縮減されるわけで、そうなると中国人は職を失うわけです(ここで猛獣文士さんの言う人権問題と生存権との衝突という「光景」が生まれる)。
結局、こうしたデモは一見出稼ぎ労働者の権利を標榜しつつも、実は
"中国人を雇う位なら、われわれを雇うべきだ"
という排外主義的な主張を内在しているということがしばしばあるのですね。で、デモに集まる労働者は「俺たちの職を奪う」中国人への憎悪を剥き出しにするという光景が現出したりするわけです。
さすがに日本ではこうしたデモの光景は見られませんが、例えば「中国ってさー、死刑執行者の数が中国以外の国で死刑執行される人間の総数よりも多いんだってさー。人権後進国だよねー」などと語り合う時、一見「人権」という言葉が踊り出ているものの、そこに表出しているのは単なる差別意識・排外主義だったりするわけです。
また、先進国の人間が発展途上国の人権状況を批判することに対しては、発展途上国の側から「人権帝国主義」という非難が為されることがしばしばあります。これを掻い摘んで説明すれば、
"確かに人権擁護は重要かもしれないが、まずはわれわれの国を人並に食えるようにせねばならない。その為には、人民の権利をある程度制限してでも産業の生産性を向上させねばならない。それを何だ、先進国の人権主義者どもは。人権、人権と五月蝿いが俺たちの国の民生の向上を全然考えていないじゃないか。お前たち先進国だって昔は労働者の人権を制限していたではないか、俺たちが同じことをやって何が悪いのか?"
というものです。ここでも人権問題と「生存権」の衝突という問題が生まれるわけです。
結局、「人権」という美辞麗句を名目にその実は途上国の内政干渉が目的なのではないか−という疑念が
要するに、「人権」という概念を真に普遍的たらんとするには、先進国的な「人権」や「民主主義」の精神を押し付けるような姿勢では駄目なんですね。先進国であれ途上国であれ民衆がともに水平的に「連帯」し合い、「人権」を守りつつ一定水準の民生を維持するためにはいかにすべきかを共に考え合うという姿勢が求められるのだと思っています。その路線の一つの形が、世界社会フォーラムなんじゃないかと思います。
まあ、敢えて左翼的な言葉を用いるなら「万国の労働者、被抑圧民族よ、団結せよ!」の精神に比較的近いのかもしれませんね(笑)。
*【ここで、××××氏から、私が展開している人権活動が「『後進国』中国に対する『先進国』日本人のおせっかい」で、「嘘、欺瞞、二重基準」で、私が言わんとするところは、「『後進国』である中国や北朝鮮の人権問題は大目に見よう、口を出すなというものです」「外国人といえば日頃の人権人権を捨ててまで擦り寄るあなたの姿勢には、うんざり」というレスが返される。】
*なんでこういう話になるかな〜 投稿者:まこと@出張 投稿日: 2月19日(土)22時39分48秒
××××さんという人はロジックで対抗できなくなると、すぐに曲解やレッテル貼りに走りますね〜。
>ま、あなたは所詮そんなところでしょう。あなたのウェブログ「北朝鮮・チベット・中国人権ウォッチ」なんか、さっさとおやめなさい。「後進国」中国に対する「先進国」日本人のおせっかいです。嘘、欺瞞、二重基準。あなたの言わんとするところは、「後進国」である中国や北朝鮮の人権問題は大目に見よう、口を出すなというものですよね。それなら、まずあなたからおやめなさい。(××××さん)
私が"「後進国」である中国や北朝鮮の人権問題は大目に見よう、口を出すな"なんて、何処に書いていますかね。いくら本人は良いことを言っている「つもり」でも、単なる「先進国」や「西側」の価値観を「輸出」するような姿勢で臨んでは、当の救済すべき人達の元には声は届かないし、自国の人権状況に対する海外からの批判を「内政干渉」として交わそうとする為政者達の思惑にも対抗できない、ということですよ。
要は姿勢の問題ですね。ともに社会のあり方を考えていこうとするのか、それとも単なる先進国市民の自己満足・憐憫の表出で終わろうとするのか、という。
私が言わんとすることがご理解頂けない限り、××××さんは北朝鮮民衆の人権擁護を叫ぶその口で、朝鮮民族に対する偏見剥き出しのショービニズム的発言を繰り返すその立場性から脱却できないと思うんですよ、私は。
ちなみに私はチベットや中国の人権問題とは、殊に経済グローバリゼーション下では私自身が属する社会領域の人権問題と連動しているものと認識しています。従って、私が属する社会を変えていくためにも彼らの人権状況を改善せねばならないと思っています。
また、北朝鮮の人権問題についても、私はこの問題は東北アジアの民衆社会の安全保障という観点から、政治のあり方を含めた是正が必然だという考え方ですね。もちろん拉致問題に関しても然り、です。
(追記)
人権問題ではありませんが、捕鯨問題に置き換えれば比較的話は分かりやすいんじゃないでしょうかね。環境保護や種の保存の見地から捕鯨活動に一定の規制を掛けようという主張に真っ向から反対する人は日本人の中にも余りいないとは思いますが、欧米の捕鯨反対派の中には日本の鯨肉食文化そのものに対する偏見や、「鯨を食べるなんて野蛮だ」などといった類の価値観を押し付けようとしている層も存在する訳です。
こういうのは「文化帝国主義」のカテゴリに属する問題だと思いますが、この種の「独善」への反発を感じる思いは、××××さんにもあるんじゃないですか?
要するに、「環境保護」「種の保存」という理念そのものは正しくても、主張を届けるためのアプローチを誤ると、逆に反発を招きかねないということですね。
【ひとことコメント】
アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの「帝国」が、アムネスティ・インターナショナルや国境なき医師団のような「人道主義的NGO」に対し、「新たな世界秩序が所持する最強の平和的武器のうちの幾つか」に他ならず、また「帝国」の慈善キャンペーン・「托鉢修道会」として機能していると苦言を呈しているように、「人道主義的NGO」の活動はしばしばグローバル資本主義下の政治・社会システムを補強するための道具として取り込まれてしまうということがままあります。
私はNGOや市民団体による人権・人道支援活動とは、嘗ての欧米列強がアジア・アフリカ・南米等の諸国を侵略した時に随行し、キリスト教布教と恤救活動を通じて侵略を手助けした「宣教師」のような立場では無く、ともに同じ民衆の一人として途上国に人権蹂躙や貧苦を齎している根本要因を考え合い、いわゆる「先進国」の側にも彼らの生活空間における人権侵害を齎す要因があるのならそれを真摯に是正し、ともに社会改良を目指す間柄を構築する姿勢こそが求められるのだと考えます。
このブログでもしばしば取り上げているように、いま中国では「社会主義市場経済」の中で農民や労働者による大規模な「反乱」やデモが起きていますが、こうしたデモでは所謂「(ブルジョワ)民主主義」や「人権擁護」はそれほど大きな旗印になっておらず、むしろ毛沢東思想が「腐敗官僚打倒」を叫ぶ民衆たちのシンボルになっている様相すら見られます。少し極言すれば、現在の中国では「民主化」などというのは、都会に住む改革志向のインテリが志向しているだけに過ぎないという面もあるのですね、案外。
私たちが「普遍的価値」と信ずる「人権擁護」などのスローガンが、なぜ彼らの間では大きな声となり得ないのか・・・?1989年のあの頃、「六四」が学生主導の運動の枠を超え、広範な人民を巻き込んだ大衆闘争へと転化しなかったのだろうか・・・?
ここでは敢えて「解答的」私見は書きませんが、そこにこそ私たちが展開している「国際人権運動」の"弱さ"が内在しているのだと思います。
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| ■ 北朝鮮スターリン主義者と「テロとの戦い」を煽るネオコンは相似形? | |
| 徒然掲示板より http://6547.teacup.com/sinken/bbs 【sinkenさんの投稿を受けて−北朝鮮スターリン主義者と「テロとの戦い」を煽るネオコンは相似形?】 >また内政問題でないとすると、そのことに対して、国際社会、近隣諸国には、いかなる介入の根拠があるというのか.これを示すべきです.(sinkenさん) >しかし、この状況を、戦争の手段で、政治権力を排除し、問題を解決する事は、止めなければならない.なぜなら、戦争の発動は、その国家の国民の犠牲を引き起こすしその国家を破壊するばかりか、攻撃を仕掛ける国家の内部にも、犠牲を出し、その国家内部で、不平等、差別を拡大することにつながるのです(sinkenさん) 北朝鮮外務省のスポークスマンが昨年の12月20日に米国政府による北朝鮮の人権状況批判に「反論」した際のコメントを以下に引用します。出典は「私設朝鮮民主主義人民共和国研究室」の「共和国日誌」です。 "「イラク事態は国家の自主権を離れた人権、力で守られない人権とは妄想に過ぎず、人権問題を他国に対する内政干渉と制度転覆の万能の手段として悪用している米国の政策が変更されない限り、ただ物理的力で相対して戦うことだけが真の人権擁護の唯一の選択という教訓を与えている」" この北朝鮮側の声明はアメリカ政府のイラク政策を一見「糾弾」しているように見えるのですが、「人権擁護」という概念を国家による物理的戦争を正当化するために利用している面では、所詮はアメリカのネオコン層の振りまく「論理」とコインの裏表に過ぎないのですね。 確かにネオコンは北朝鮮外務省のようにあからさまに人権を「国家の自主権」の下位概念と位置づけず、人権の普遍性概念を承認してはいるのですが、国家が「物理的力で相対して戦うこと」で人権は守護されるのだという面では北朝鮮外務省と「テロとの戦い」を煽るネオコンの「論理」は、互いに相通じているのですね。 「人権擁護」のための戦争観に関するスターリン主義的政権とネオコンとの奇妙な相似−興味深い現象です。 | |
| まこと (2005-02-21 08:02:21) |









